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1931年~1940年
(昭和6年~15年)
「4台で1.9km区間」から始まった関東バス
1931(昭和6)年12月25日、従業員18名、車輛4台という規模で関東バスの歴史は始まった。当時の社名は「関東乗合自動車株式会社」。竹本治三郎という歯医者が発起人である。資本金は当時の金額にして8万円であった。
アメリカ・フォード社の車輛を使い、新宿駅東口から小滝橋までの1.9kmの運行を開始。しかし時代は第二次世界大戦へ突入し、戦時体制下の国策に従い軍需輸送も大切な使命となっていく。
1938(昭和13)年、東横電鉄(現在の東急)の傘下に入り、従業員は30名、車輛は13台へと拡大。路線も延長された。
1931(昭和6)年
創業当時の車輌は「フォードA型バス」。定員14人、24馬力。全車輪に泥水飛散防止のブラシが取り付けてあった。
1939(昭和14)年
1939年頃の小滝橋バス停
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1941年~1950年
(昭和16年~25年)
終戦と首都東京交通秩序の回復
1941(昭和16)年、太平洋戦争が開戦。米国の石油対日輸出抑制策に伴い、代燃車を採用し、国産車が登場した。戦時下により男性社員の多くが徴兵され、日本で初となる女性のバス運転手が誕生する。
1945(昭和20)小滝橋の本社が東京大空襲に遭う。終戦後の1948(昭和23)年、阿佐ヶ谷へ移転していた本社を小滝橋へ戻し、再建の第一歩を踏み出すこととなる。
同時期に、東京城西エリアと都心部を結ぶ路線の運行を開始。壊滅状態にあった首都東京の交通秩序回復に努めた。
1948(昭和23)年
1948年に竣工した小滝橋の本社。平屋である。
1949(昭和24)年
全長約10Mのトレーラーバス、日野T26型。側面には「1201 KANTO BUS CO LTD」の文字。
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1951年~1960年
(昭和26年~35年)
戦後復興期の多角事業展開
戦後の復興期である1950年代は、多角事業展開の時代である。
- 1951(昭和26)年、貸切バスの営業を開始。
- 1952(昭和27)年、都内タクシー部門へ参画。
- 1955(昭和30)年、伊豆長岡・伊豆月ヶ瀬に、ガソリンスタンドを開業。温泉旅館「旅館月ヶ瀬」を開業。
- 1957(昭和32)年、杉並区に、映画館「西荻東映(のちに西荻東宝へ改称)」を開業。
- 1958(昭和33)年、吉祥寺駅発の終車延長(24時発武蔵野営業所行)。
1951年(昭和26)年
当時の貸切車輌には1台ごとに愛称(昔話の人物や動物などの名前)を持ち、そのイラストを側面に描いていた。
1952(昭和27)年
伊豆月ヶ瀬(中伊豆)に開業した「旅館月ヶ瀬」を東京でPRするため、ボンネットバスが使用された。
1955(昭和30)年
1955年当時の路線図。現在と同様に、中央線・西武新宿線・西武池袋線を結ぶエリアを網羅している。
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1961年~1970年
(昭和36年~45年)
全国初「3扉ワンマンバス」運行開始
1960年代は、車掌が乗務せず、運転手だけでバスを運行する「ワンマン化」を促進する時代であった。
1962(昭和37)年にその第一歩を踏み出す。当時のワンマン運行系統は2系統のみで、これは全体のわずか2.5%、車輛数にすると8台であった。
その後も着々と計画を推し進め、1970(昭和45)年には、全国のバス事業者に先んじてワンマン化100%を達成した。この背景には、日本初の「3扉ワンマンバス」の開発がある。3扉方式により平均降車時間が短縮され、一刻を争う朝の通勤・通学ラッシュでは、大いに役立つこととなる。
1962年(昭和37)年
1962年よりワンマンバスの運行を開始。車体のフロントには「ワンマンカー無車掌バス」の表記がある。
1970(昭和45)年
1970年に竣工した「関東バス小滝橋ビル」(旧本社ビル)
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1971年~1980年
(昭和46年~55年)
国鉄補完機関としての関東バス
1972(昭和47)年に「3ヶ年計画」を開始。この計画により不採算路線と長距離系統の整理統合を行った。同時に新たな試みにも着手し、1971(昭和46)年には、バス優先・専用レーンを設置。1973(昭和48)年には、低床式バスの導入を進めた。
こういったサービスの拡充により、関東バスは首都圏の大量陸上交通機関として、国鉄の補完機能を果たしていくこととなる。
1973(昭和48)年
乗り降りしやすい「低床式バス」を導入した。これまでよりも床高が約12cm低くなった。
(写真左が低床式、右2台が従来車)
1977(昭和52)年
1977年頃の新宿駅西口バスターミナル。
1978(昭和53)年
1978年、新宿西口にバスロケーションシステムを設置。
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1981年~1990年
(昭和56年~平成2年)
バブル景気とサービス拡大
バブル景気を背景に、1980年以降もサービスの更なる拡充を進める。
1987(昭和62)年、一般乗合バスの100%冷房化を達成。
1988(昭和63)年、夜間都市間高速路線バス事業へ参入。奈良交通と共同運行にて、新宿~近鉄奈良駅間路線「やまと号」を開業。
1989(平成元)年、京阪バスと共同運行にて、新宿~枚方間の路線を開業。
1990(平成2)年、新宿~津山・岡山・倉敷間路線「マスカット号」を開業。
1988(昭和63)年
1988年に夜行高速バス、新宿~奈良間(やまと号・奈良交通と共同運行)を開業。
1990(平成2)年
1990年には夜行高速バス、新宿~枚方(京阪バスと共同運行)を開業。
1990(平成2)年
続いて、新宿~津山・岡山・倉敷(マスカット号・中鉄バスと共同運行)を開業。
1990(平成2)年
1990年より、深夜中距離バス、銀座→三鷹(東京都交通局と共同運行)を開業。
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1991年~2000年
(平成3年~平成12年)
バブル崩壊とサービス縮小
1990年代は、バブル崩壊が事業展開にも影響を及ぼす。貸切バス事業の需要は減少し、事業を縮小。乗合バスは運行効率化のため、ケイビーバス㈱を設立し分社化を行った。1995(平成7)年に新宿~日光・鬼怒川間の昼行高速バスの運行を始めたが、現在では撤退している。一方で、武蔵野市の「ムーバス」1号路線の運行受託をこの時期に開始する。
1994(平成6)年
1994年より「バス共通カード」を導入。2000年からは関東バス路線限定「Dayカード」を販売開始した。(2010年7月31日にて取り扱い終了)
1995(平成7)年
1995年より、全国初のコミュニティバス、武蔵野市「ムーバス」の運行を開始。
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2001年~2010年
(平成13年~平成22年)
コミュニティバス運行受託とIT化
2000年代は、自治体が運営するコミュニティバスの運行受託を拡大していく。2002(平成14)年、西東京市「はなバス」、2008(平成20)年、杉並区「すぎ丸」の運行を開始した。
同時に旅客サービスの拡充を図り、2001(平成13)年に吉祥寺~羽田空港間・吉祥寺~成田空港間の空港連絡バスを開設した。
IT化にも力を入れ、バスロケーションシステム「関東バスナビ」、ICカード乗車券(PASMO)の導入を進めた。
2006(平成18)年
2006年、全路線にバスロケーションシステムを導入。主要バス停には表示機も設置。
2006(平成18)年
携帯電話でバスの位置情報がわかる「関東バスナビ」もこの時期にサービス開始となる。
2009(平成21)年
一部の案内所をリニューアルし、名称を「エリア・ビューロー(地域の案内所)」とした。
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2011年~2020年
(平成23年~令和2年)
業界初「全席個室型夜行高速乗合バス」運行開始
2015(平成27)年、関東バス本社ビルの建て替え工事が完了する。前年の2014(平成26)年には、イメージキャラクターの「かんにゃん。」が誕生した。猫をモチーフにしたキャラクターは、関東バスのイメージカラーの朱色を基調とし、運転手の制帽を被っている。
また、安全管理体制充実のため、運転実技教習用バス、「安全運転訓練車」を導入した。2017(平成29)年に、業界初の全席個室型夜行高速乗合バス「ドリームスリーパー東京大阪号」の運行を開始。2019(令和元)年には、夜行高速乗合バス「エクスプレス鳥海号」の運行を開始、吉祥寺から東京ディズニーリゾートを結ぶ直行便を開設した。
2011(平成23)年
2011年「関東バスの走る道」をポルト出版社より発刊。関東バス80年の歴史を振り返る一冊となる。
2014(平成26)年
2014年"猫は家につく"ということから、関東バスにとっての"家"である地域の皆さまを大切にしていきたいという思いを込めて、イメージキャラクターの「かんにゃん。」が誕生。
2017(平成29)年
2017年、業界初の全室個室型夜行高速乗合バス「ドリームスリーパー東京大阪号」(両備ホールディングスと共同運行)を開業。
2018(平成30)年
運転時の映像やデータが記録され、運転状況を客観的に分析することで、安全運転への再確認を行う。
2019(令和元)年
2019年、吉祥寺と東京ディズニーリゾート®を結ぶ直行バス(京成バス、西武バスと共同運行)を運行開始。
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