関東バス株式会社 | あなたの笑顔を運びたい

ヒストリー写真館

関東バスの歩みを歴史を振り返りながらご覧ください。

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2012年1月1日、関東バスは沿線の利用者の皆さまをはじめとする
多くの方々に支えられ、創業から数えて80年の歴史を刻みました。
そして、現在も「あなたの笑顔を運びたい」の想いとともに走り続け、
次の創業90年、さらに創業100周年に向けて輸送使命を全うしていきます。
ここでは、関東バスが走ってきた軌跡と、先人たちがその時々で放ってきた
光彩の歴史について、バスの写真を中心にご紹介します。

1931年~1940年
(昭和6~15年)

「4台で1.9km区間」から始まった関東バス

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1931(昭和6)年12月25日、竹本治三郎(歯科医)が発起人となり、資本金80,000円にて「関東乗合自動車株式会社」を創立。従業員18名、車輛(フォード)4台、運行系統は新宿駅東口―小滝橋間(1.9km)であった。創立後は満州事変、日支事変、さらに先に続く太平洋戦争突入とその拡大、いわゆる「十五年戦争」の戦時体制下の中で国策にそった軍需輸送を含む輸送使命達成に邁進してきたのである。1938(昭和13)年、当社は東横電鉄(現在の東京急行電鉄)の傘下に入り、当社の規模は路線が新宿駅東口―小滝橋―目白通り出口まで拡大、従業員30名、車輛数は13台となっていった。

主な国内の出来事
1932(昭和7)年
第1回日本ダービー
1936(昭和11)年
二・二六事件
1939(昭和14)年
第二次世界大戦勃発

1941年~1950年
(昭和16~25年)

終戦の一大混乱期、蘇った軌跡

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1941(昭和16)年、米国の石油対日輸出抑制策と共に液体燃料の配給停止を受けて代燃車時代となっていき、外国車に代わって国産の「ニッサン車」が登場した。また、そのころには、社員の大半が応召して行く要員不足の中で男性社員に代わって女性車掌がハンドルを握るようになり、この日本で初となる「女性のバス運転手」の登場は戦時下のバス輸送のあり方として大いに注目を浴びた。一方で戦局が拡大していった1945(昭和20)年、東京大空襲に見舞われた当社は、小滝橋の事務部門は戦禍を避けて杉並の阿佐谷営業所に引越しており、1948(昭和23)年に本社が再び小滝橋の地へ帰還を果たし、再建への第一歩を進み始めていった。時を同じくして、郊外と都心を結ぶ都心乗り入れ路線の運行を開始、壊滅状態にあった首都東京の交通秩序回復のため、「無欠行週間」「サービス週間」を設け、沿線のお客様から拍手と激励を受けた。

主な国内の出来事
1941(昭和16)年
真珠湾攻撃
1945(昭和20)年
終戦
1947(昭和22)年
ベビーブーム
1950(昭和25)年
プロ野球日本シリーズ開始

1951年~1960年
(昭和26~35年)

次々と拡充された路線網と多角事業展開

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1951(昭和26)年に当社は貸切部門(観光バス)の営業を開始するほか、広範囲に路線を展開していく。この時期に拡充された中央線・西武線・京王線を南北に結ぶ路線は現在でも当社の主力となっている。また、1958(昭和33)年には戦後復興期という時代の要請もあり吉祥寺発24時まで終車延長に踏み切るなどバス活用の可能性を拡げていった。こうしてバス事業が拡張していく中で、1952(昭和27)年に営業を開始した都内タクシー部門を皮切りに、バス事業以外の事業にも本格参入していった。1955(昭和30)年には、伊豆長岡と伊豆月ヶ瀬に続けてガソリンスタンドを開業し、さらに同年、温泉旅館「旅館月ヶ瀬」を開業。1957(昭和32)年に映画館「西荻東映(のちに西荻東宝と改称)」を開業するまで、この時期の当社は複数の事業に参入していった多角経営時代でもあった。

主な国内の出来事
1953(昭和28)年
テレビ放送開始
1958(昭和33)年
東京タワー完成
1960(昭和35)年
カラーテレビ登場

1961年~1970年
(昭和36~45年)

全国に先駆けて考案した
日本初の「3扉ワンマンバス」

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1962(昭和37)年からワンマン化の第一歩を踏み出し、当初のワンマン運行系統は三鷹~武蔵小金井(7.6km)と三鷹~武蔵関(4.1km)で当社全体のわずか2.5%、車輛数は8台であった。その後、1964(昭和39)年には、20.4%、さらに翌年には48.9%と全車輛の半数近くがワンマン化され、1970(昭和45)年に全国のバス事業者に先鞭をつける「ワンマン化100%達成」を果たした。このワンマン化計画の中には、朝のラッシュ時間帯のよりスピーディな乗降扱いを狙った日本初の「3扉ワンマンバス」がある。これまでのお客様一人の平均降車時間が1.1秒かかっていたのが、この「3扉」方式で0.4秒へと短縮、一刻一秒を争う朝の通勤・通学者に大きな拍手をもって迎えられたのである。この当社の独創的な開発は、まさに歴史的な偉業であった。

主な国内の出来事
1962(昭和37)年
首都高速道路開通
1964(昭和39)年
東海道新幹線開業、東京オリンピック開催

1971年~1980年
(昭和46~55年)

首都圏の大量陸上交通機関として
国鉄の補完機能を果たす

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成功を収めたワンマン化計画に続いて、1972(昭和47)年度に主力を置いた路線の徹底的見直し「3ヶ年計画」がスタートした。いわゆる不採算路線の整理統合を目的としたものであるが、長距離系統の分断や、減回・廃止を行ない、全体の約20%の系統が単純化・統合整理されていった。しかし、この計画は不採算路線の整理だけを行なうのではなく、「再開発」という発想で他にも新しい試みが計画された。1971(昭和46)年にバス優先レーンの設置(武蔵関交差点~荻窪北口)、1973(昭和48)年には低床式バスの導入と進めていき、関東バスは首都圏の大量陸上交通機関として国鉄の補完機能を果たしていったのである。

主な国内の出来事
1970(昭和45)年
日本万国博覧会開催
1973(昭和48)年
オイルショック、第二次ベビーブーム
1978(昭和53)年
新東京国際空港開港

1981年~1990年
(昭和56~平成2年)

乗合・貸切2つのバス事業の枠から飛躍した夜行高速バス

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1987(昭和62)年には一般乗合バスの冷房化100%を達成した。1988(昭和63)年には、当社初の夜間都市間高速路線バス事業に参入。奈良交通をパートナーに運行を開始した夜行高速バス「やまと号」(新宿~近鉄奈良駅)を開業、1989(平成元)年には、「やまと号」(新宿~近鉄高田駅)を増便、新宿~枚方間を開業(京阪バスと共同運行)、1990(平成2)年に、「マスカット号」(新宿~津山・岡山・倉敷)と路線網を拡大した。銀座→三鷹駅北口への深夜中距離バスもこの時期開業した。

主な国内の出来事
1982(昭和57)年
東北・上越新幹線開業
1983(昭和58)年
東京ディズニーランド開園
1985(昭和60)年
筑波科学万博開催
1989(平成元)年
消費税法を施行(3%)

1991年~2000年
(平成3~12年)

不況による事業縮小などの
苦難を乗り越えて走り続ける

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1995(平成7)年には、新宿~日光・鬼怒川間の昼行高速バスの運行を開始したが、現在は撤退をしている。また、バブル崩壊の影響を受け、貸切バス事業は需要の減少により事業を縮小、乗合バスでは運行効率化のため、1999(平成11)年にケイビーバス株式会社を設立、分社化を行い、2009(平成21)年まで夜行高速バス等の運行を担当した。全国初のコミュニティバス、武蔵野市「ムーバス」1号路線は、1995(平成7)年に運行受託を開始した。

主な国内の出来事
1991(平成3)年
バブル崩壊
1993(平成5)年
Jリーグ開幕
1995(平成7)年
阪神淡路大震災発生
1997(平成9)年
消費税を5%に増税

2001年~2010年
(平成13~22年)

新たなサービスを展開、21世紀へ

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2000年代に入ると、コミュニティバス「ムーバス」の受託路線が増え、その他の自治体のコミュニティバスの運行受託も進めた。2002(平成14)年から西東京市「はなバス」の1路線、2008(平成20)年からは杉並区「すぎ丸」を運行開始した。また2001年(平成13)年から進出した空港連絡バスは、吉祥寺―羽田空港間、吉祥寺―成田空港間を開設した。新たな旅客サービスとして、2006年(平成18)年、バスロケーションシステム・関東バスナビを導入、路線バスの運行情報提供を開始した。また、2007年(平成19)年にはICカード乗車券(PASMO)の導入を始めた。

主な国内の出来事
2001(平成13)年
ユニバーサル・スタジオ・ジャパン開園
2002(平成14)年
サッカーW杯日韓共同開催
2005(平成17)年
愛・地球博開催
2008(平成20)年
リーマンショック